第6回宗教文化セミナー 「美しき日本の残像―古民家再生と日本再生」講演要旨

第6回宗教文化セミナー

「美しき日本の残像―古民家再生と日本再生」講演要旨

 

平成30年3月30日、神道大教院(東京都港区)において、宗教文化セミナーを開催。およそ60名の参加があった。

講師のアレックス・カー氏は、米国メリーランド州生まれ。1964年12歳で父の赴任に伴い初来日。少年期に体験した日本の美しさと失われゆく現状を国内外に訴え、日本各地に残る美しい風景と文化を、次代へ守り伝えるべく活動を行っている。カー氏は、大本が開催していた日本伝統芸術学苑に参加し日本文化の研究を行い、また、その後は通訳スタッフとして海外の諸宗教との対話にも貢献した経歴があり、日本宗教連盟とも関わりがある。今回の対談を行った田中恆清理事(当時)とも旧知の間柄である。

カー氏は、日本の古民家を再生・活用することで、地域再生の支援にも積極的に携わってきた。氏が見出してきた日本の古き良き景観について、改めて見つめなおす機会となった。講演のタイトルは、カー氏の著書『美しき日本の残像』(1993年、新潮社)に基づいている。以下、要旨を紹介する。

 

講演 アレックス・カー氏

これまで自分は、日本の各地を巡ってきた。日本には美しい山や川があり、町や村には古民家などの織り成す風景がたくさんある。しかし、地域住民は案外その景色の素朴な美しさに気づいていないと思う。

例えば、看板について。町や村に行くと商業的なものや交通安全、「町をきれいに」という看板がたくさん並び、かえって景観を台無しにしている。銀行やコンビニなど商業施設の看板は、古い街並みにそぐわないし、神社仏閣の境内ある「禁煙」などの注意書きの看板も同様だ。景観を損ねないような工夫をするべきではないだろうか。行政機関は、地域の美化や活性化に敏感ではあるが、地域のニーズとは関係なく山の中に奇抜な形の施設を造ったり、不便の一言で、必要性のない道路を新設したり、落ち葉の処理について苦情があると、立派な街路樹も伐採してしまう。山間部に無造作に建てられる携帯電話の基地局も、景観を害するもののひとつである。海外では、景観に溶け込んだデザインの基地局にしたり、数社合同で使ったりといった配慮がある。景観をよくするため進められている電線の地中化に関しては、東京で7%、大阪で5%程度しか進んでおらず、日本は海外に比べて大変遅れている。

近年、日本は観光立国を目指しているが、海外からの観光客が求めているのは、「なんでもない魅力」なのである。それは、交通の便が悪い山間部へ、時間をかけてたどり着いた先にある神秘的な光景であったり、古い土間がある古民家であったりする。そこにまた戻りたくなる景観とはいったいどのようなものなのか。三十年後の景観を考えることが大切なのではないか。

人口減少は全世界的で起きており、時代の波であって抗えない。このような社会では、地方の最後の救い主として、観光(インバウンド)の受け入れを地域の産業ととらえることが有効であると言える。観光に必要な食やレンタカーなどは、地域にあるものを積極的に利用すれば、地域に雇用を生み、経済も還元することができるからである。

残念ながら現在の日本の観光政策は、ただ数をこなせば良いという考えで行われている。しかし、京都市内の観光客増加による様々な懸念を考えると、観光客の受け入れを制限してでも本物を守り、本当に興味を持つ人々に来てもらえる道をとるべきだと提言したい。

【カー氏は、写真で景観を損ねている例と対比し、徳島県祖谷(いや)をはじめ、長崎県小値賀(おぢか)町、奈良県十津川村などにある、古民家を改修した滞在型の観光施設などを紹介した。】

第6回宗教文化セミナーの様子

 

対談

講演ののち、アレックス・カー氏と田中恆清・日本宗教連盟理事(当時)との対談では、両氏の生活の拠点である京都府の観光地化による問題や、海外における景観の考え方などにも触れた。

田中理事はカー氏の講演を受けて、現在の京都市内が、外国人観光客の増加によって、まるで海外にいるような状況であることを紹介。海外では、日本らしさや日本文化に触れたいと考える現象があるのではないか。また、日本人がより便利な生活を求めるのに対し、海外では畳の部屋で布団の上げ下げを行うといった不便さを、逆に求めているのではないだろうか。京都は宗教都市と言われるように寺社仏閣が多く、文化財や文化遺産も多数存在する。訪れる観光客のマナーにも問題があり、神社では本殿に土足で上がってしまうこともあって苦心している。必然的に「看板」が多くなる、と説明。

カー氏は、観光も人が多く混みすぎてしまうと、地域にそぐわない施設ができてしまったりする。京都は急激な観光客の増加に対応できていない。拝観は予約制や入場料を上げるなど、敷居を高くして規制することで守っていく必要もあるだろう。また、日本には「鎮守の杜」というように木に対する神聖な感覚があり、本来の感性を失ってはならないと思う。先ほどの落ち葉の問題も、街路樹など木を積極的に育てる国際的な視点からすれば、木を切ってしまうのは古い考え方だ、と。

田中理事は、日本は、神仏習合など独自の信仰を創り上げてきた。その知恵を使えば我が国が誇るべきものを守っていけると思う。カー氏にはこれからも出版などで大きな示唆を与えてほしい、と述べた。

 

 

公益財団法人日本宗教連盟

「第6回宗教文化セミナー」要旨  (文責事務局)

平成30年3月30日・会場 神道大教院

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