令和3年度 年頭所感
「希望というワクチン 〜 COVID―19下での宗教者の役割」
令和3(2021)年度 理事長 大柴 讓治
2020年2月以来、私たちはCOVID―19パンデミック下で自らの無力さと限界を深く味わってきました。その中で「宗教者」に託されている大切な使命に思いを巡らせてきました。それは「祈ること」と「希望を指し示すこと」です。
ウィルスと格闘しておられる方々の上に守りと支えを、亡くなられた方々の上に魂の安息を、悲嘆にくれる方々のために天来の慰めをお祈りいたします。人類の歴史は感染症との闘いの歴史でした。このパンデミックも必ず終息の時を迎えることでしょう。一日も早い終息を祈ります。今しばらくの辛抱が必要でしょうが、しぶとくしなやかに、めげずに賢く時を過ごしたいと念じています。
ユダヤ人精神科医のヴィクトール・フランクル(1905-97)はその強制収容所体験を記した『夜と霧』の中で、最初に倒れていったのは体力のない人々ではなかったと報告しています。希望を見失った人、絶望した人から先にだったと。人間が不条理な苦しみを耐え抜くためにはどうしてもそこに希望と生きる意味とが必要だと述べるのです。彼自身の姿が重なっているように思いますが、そこには「天と契約を結んだ男」の話が出てきます。男は自分の苦しみを神への犠牲として捧げ、代わりに自分の家族のために神の祝福を願っている。神と契約によって彼は不条理で無意味な苦難に意味を賦与したのでした。フランクルはこう語ります。私たちが人生の意味を問うのではない。人生の方が私たちに「どのような意味をあなたはそこに見出すのか」と問うのだと。彼は戦後、生の意味の探求をその中核に置く「ロゴセラピー(実存分析療法)」を展開してゆきます。彼は既に戦前にそれを確立していて、収容所体験が結果として裏打ちすることになったのでした。
私たちは希望の光があればこそ苦難の長い闇を忍耐することができる。希望とは「生きることの意味」であり「生きがい」のことです。夢中になれるものを持つ時に私たちの免疫力は高められてゆきます。それを「希望というワクチン」と呼び得るでしょうか。