第3回 宗教文化セミナー【要旨】

第3回宗教文化セミナー

総合テーマ「宗教は『家族』と『地域社会』を再生できるか」全三回シリーズ

第2回「『限界集落』化する地域社会と宗教の力」要旨

 

平成26年6月17日、國學院大學・常磐松ホールにおいて、第三回宗教文化セミナー「『限界集落』化する地域社会と宗教の力」を開催した。限界集落とも呼ばれる地域社会が増える中で、「今日の問題」と向き合う五名の宗教者が、実際の取り組みや、問題克服への可能性、その思いを発信した。

 

コーディネーターの石井研士・日本宗教連盟理事、國學院大學神道文化学部教授は、戦後の都市化、過疎化から、地域社会は急速な変貌を遂げ、二十世紀末になって「限界集落」と表現されるようになった社会状況について説明。宗教は、祭りをはじめとした年中行事、成人式等の通過儀礼、あるいは同じ信仰を有する仲間など、様々な形態で地域社会にネットワークを形成してきた。しかし、人口の減少や急速な高齢化は、地域ネットワークの形成に多大な影響を与えるばかりでなく、宗教を取りまく環境にも良い影響があるとは言い難い。このような社会状況においても、宗教の持つ力を再認識できるような事例がある。例えば、東日本大震災の被災地で、しばらく途絶えていた祭りを復活させたことが地域の絆を強め、さらに人々の心の支えとして復興の一役を担っている。つまり、地域に密着した宗教的行事は、人々の紐帯を強め地域を活性化させる力がある。宗教的な視点から、新しい地域社会との関係を模索し、その可能性を見出して行きたいと述べた。

 

講師の村鳥邦夫・御嶽教管長(奈良県奈良市)は、御嶽教の根本道場がある長野県木曽地域の現状を紹介。総務省も過疎地対策を行ってきているが、中でも、放っておくと消滅してしまうような地域を限界集落と言うのだろう。過疎地域集落は日本の原風景を思わせるような自然と清浄な空気に包まれた、「日本で最も美しい村」という利点がある一方、ライフラインの整備が行渡らず、学校や病院、スーパーマーケット等はほとんどなく、遠距離であるため車がないと生活ができない欠点がある。御嶽教では、近隣集落に、神事のおさがりを届けたり、魚や肉や缶詰などの食品を差し入れたりして、普段から高齢者などの見守りを大切にしている。

また、教団として東日本大震災の被災地から無償で宿泊の受け入れなども行ってきた。過疎地域では自然を利用したイベントなどの開催や、それぞれの宗教宗派の特性にあった活動、地域の特色を生かすアイディアを自治体に提示し行うことも公益活動の一環になる。また、宗教宗派を超えた協力によって可能性が広がると述べた。

 

加藤慈然・本立寺住職(広島県尾道市)は、阪神淡路大震災当時、ボランティア活動で被災地に入ったが、一人では何もできなかった。この経験から、今後広島で震災が起こった際に、寺が役に立つようにと現在の活動を始めたきっかけを語った。活動の拠点としている広島県尾道市の寺の近くは、車も自転車も通れない狭い坂道や階段が多く、三人に二人は高齢者で空き家は百件以上もある。そこにアーティストが美術館を開き、来訪者が年間三万人に増えた事例も紹介。

住職として兼務する人口五千人程度の同竹原市忠海町にある、檀家五十件に満たない本立寺では、寺を中心として地域住民と顔の見える関係をつくり、いざというときに助け合える地域の絆をめざしている。アーティストの園山春二氏に住み込みで美術館づくりを頼み、古民家再生の寺を生かして、「竹原市忠海かぐや姫美術館」を開館し、市民に開放している状況を説明。本立寺ゆかた祭りは、子どもたちの無事な成長を願う祭りという意味以上に、地域活性化の一役を担っている。その他、尾道の灯りまつり等による、地域と連携した活動も発表した。

 

南圭生・天草中央キリスト教会牧師(熊本県天草郡)は、熊本県天草地方の苓北町という人口八千人の町の教会で、牧師として日々活動する中での思いを発表。天草地域の特色である、キリシタン文化の開花と、迫害や殉教に関する歴史に触れ、キリスト教の立場から作成した『天草キリシタンガイドブック』にまとめた事実を知っていただきたいと述べた。現在でも、二百六十年の長きに及んだキリスト教禁止令の影響が強く、長い歴史の偏見から、「キリスト教とは一切関わりない」とのしるしのためにしめ縄を一年中掲げている地域であり、現在は高齢化などから、クリスチャン人口は少ないのが現状である。

このような歴史的背景を考えるなかで、当時キリシタンが迫害を受けても殉教の道を選んだという行動を思うとき、宗教とは、神とは、いのちに変えても守らなければならないものなのか、宗教は人々の魂の救いにこたえられるものなのか、宗教はほんとうに人々に必要なものなのか、それを真摯に考えることがこれからの社会で重要なカギになるのではないか、と問いかけた。過疎地域のみならず、具体的な取り組みに加え、宗教の本質を考える必要性を訴えた。

 

岡田光統・杉森神社宮司(広島県東広島市)は、平成二十三年四月から東広島市河内町の杉森神社に宮司として奉職した。この神社は常駐宮司はこれまで不在で中河内地域は、六十歳以上の高齢者が半数近くを占める。着任早々、およそ六百戸の全氏子に対し、神社を通して地域発展に寄与していきたいと説明して歩いたことを紹介。下水道もトイレもない中、プレハブで社務所を建て、周辺の森とともに日々ひたすら清掃し、神社の基本である恒例祭の実施と、豆まきなど年中行事を通して町民が元気になる活動を続けている実情を報告。宮司として、元気な町になる夢を提案し、取り組む背中を見せつつ謙虚な姿勢で、時には宮司を利用してもらっている。そして、若者や女性などの力を借り、お金を使わず知恵によって物を作り出し、または氏子から戴いたお供え物で行う芋煮会などの食を通して人間関係の絆を結ぶことの大切さを語った。

政教分離問題によって協力が難しい行政とも、子供神楽の発表会を契機に地域振興活動として枠を超えて行えるよう、課題を残しながらも活動を実験的に行っている。これが、若い神職の後継者育成にもつながっていくのだと、思いを述べた。

 

平松千明・大和教団総監(宮城県仙台市)は、仙台市にある本宮の大國神社と本庁を拠点とした活動について発表。東北地方を中心に信者を持ち、祭事行事、人生儀礼の取次ぎや、個人の救済として神託、霊媒、加持祈祷や信仰教育を行い、大和の庭という集いでは、信者のみならず一般の参加も呼びかけ、地域社会とのネットワーク構築に配慮している。信者も高齢化が進み祭事への参加が難しいため、普段からチームごとに安否の確認をしているが、これにより、雪害で買い出しが困難であった信者などに物資を届けることができた。現在では、信仰の継承が難しいなど信者の減少問題も起きている。

東日本大震災では、港町に拠点が多く信者に多数の犠牲者があった。教団施設は地盤沈下や倒壊、津波でも甚大な被害があったが、教団施設で被災者の受け入れも行った。仮設住宅を訪れた際、カウンセラーはよく見かけたが、そこには心の拠り所となる崇拝の対象がなく、このような時こそ神を通じて心の癒しを行う必要性を強く感じた。大震災犠牲者の慰霊祭を大切に行いながら、また、教団として、地域と連携したコミュニティーを構築していく必要性を訴えた。

 

 

公益財団法人日本宗教連盟

「第3回宗教文化セミナー」要旨  (文責事務局)

平成26年6月17日・会場 國學院大學 常磐松ホール

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