中教審中間報告に対する「意見書」

平成15年1月22日

中央教育審議会会長 鳥居泰彦殿

財団法人 日本宗教連盟     
理事長 新 田 邦 夫    
(教派神道連合会理事長)
理 事 森   和 久    
(全日本仏教会理事長)
理 事 白 柳 誠 一    
(日本キリスト教連合会委員長)
理 事 工 藤 伊 豆    
(神社本庁総長)
理 事 深 田 充 啓    
(新日本宗教団体連合会理事長)
理 事 井 上 順 孝    
(学識経験者 國學院大学教授)

「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告)」に対する意見書

 財団法人日本宗教連盟(以下「当連盟」という)は、教派神道連合会・全日本仏教会・日本キリスト教連合会・神社本庁・新日本宗教団体連合会の5つの協賛団体によって構成され、信教の自由と政教分離の精神のもと、宗教文化の興隆と文化日本の建設を目指し、もって世界平和に貢献するべく諸活動を進めています。このたびの中央教育審議会(以下「中教審」という)による「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について(中間報告)」(以下「中間報告」という)につきましては、平成14年12月20日付にて当連盟としての要望書を貴職に提出いたしましたが、このたび更に下記の通り意見を申し述べます。

 戦後わが国は、科学技術の発達や経済の高度成長などにより、物質的、経済的には豊かになり便利になったが、精神面では必ずしもそれに呼応した展開がなされず、人心の荒廃を嘆く声も少なくない。その結果、「いのちの尊厳」が軽んじられ、他者への「思いやり」が失なわれ、さらには、凶悪犯罪、青少年問題などの増加、また政治倫理や経済倫理の低下など、多くの社会問題が眼前にある。

 このような状況が生じた原因は様々であろうが、その一因として、残念ながら宗教の果たすべき社会的影響力が低下しつつあることを認めざるを得ない。経済効率を至上のものとする物質中心主義によって、精神文化が等閑視されてきた状況に宗教者が手をこまねいていたことは反省しなければならない。しかし他方では、政教分離原則の本来の趣旨が理解されないまま運用されるあまり、非宗教性、無宗教性がむしろ社会の進んだ形態であるかのように主張されたり、反宗教的傾向が促進されたりもした。それが教育現場における宗教教育の軽視、教育者の宗教に関する無知、ときには宗教敵視的傾向さえ招いたということも指摘しなければならないであろう。

 その結果、少なからぬ日本人が心の問題を置き去りにし、人間の力を超えたものや自然への感謝といった伝統的な信仰形態を軽んずるようになり、もっぱら物質的繁栄を求め、金儲けに狂奔するようになった。それが環境や地球を破壊して憚らない態度にもつながってきている。特に最近の資本主義は、市場原理優先、経済至上主義が目立つようになった。資本主義もそれがヨーロッパで形成された当初は、宗教倫理がその背後の精神としてあったとされる。だが、現在の日本では経済活動に対する倫理的な支えが薄くなり、唯物的非人情的な側面が強まった。そして現代人の多くは、人間の有限性に思い至らず、「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」(中間報告P.13)を失ってしまい、上記のような憂うべき状態に知らず知らずのうちに陥っている。

 このような状況を反省し、道徳や宗教の役割を社会全体がもう一度真剣に考える必要がある。人々の考え、行動のどこが不適切であるかを考えさせ、病める心をもつ人が少なくなるように努め、心の拠り所になるものを供し、他への思いやりや感謝の心を回復させるのは、宗教が長い歴史のなかで果たしてきた重要な役割の一つである。その役割を見直す上では、学校教育の場で宗教についての学びを再検討することが不可欠となる。とくに、文化や伝統や倫理意識の深層にあって、人間の営みの基盤を形成している宗教的部分に目を向けさせることが重要である。その部分にまで深く掘り下げて宗教を理解できるような、宗教についての教育を導入することが求められる。これは宗派教育とは異なる、言わば「宗教文化教育」とでも言うべきもので、文化としての宗教について生きた学びをする教育が必要なのである。

 わが国は、古くから大陸の文化を摂取し、それを時間をかけて同化しつつ独自の文化を築き、独特の伝統を培って来た。そうして作り上げられた文化・伝統は、現在の日本人の無意識の領域にまで強い影響を与え、民族性やアイデンティティの基礎を提供している。

 グローバル化した世界において国際性や普遍性を求めることは、今後いっそう重要性が増すと考えられるが、同時に、多くの国や民族固有の文化を尊重することも等しく重要である。どのような国にも、その国独特の宗教事情があり、そのことについて理解することはきわめて重要であると言わねばならない。中間報告に「自らの郷土や国についての正しい理解」(P.21)とあるが、自らの郷土や国を正しく理解するにあたっても、わが国の文化や伝統や道徳規範の深層ないし基盤を形成している宗教的領域、それは無意識の領域と言っても良いものであるが、その宗教的領域による営みを理解することが不可欠である。

 以上の観点から、当連盟は以下のことを申し述べる。

(1)信教の自由を保障する政教分離原則は堅持しなければならないが、本来の趣旨が理解されないまま運用されるあまり、現在は宗教への寛容や尊重の精神が損なわれている状況が見られる。それは換言すれば、教育基本法第9条1項の精神が十分に生かされていないということであり、このことはまことに憂慮すべきことである。
 また同法同条2項に「特定の宗教のための宗教教育」とあるが、これは内容的には「特定の宗教のための宗派教育」のことであり、ここに「宗教教育」とあることによって、宗教教育全般を禁止するような解釈を生む余地がいささかでもあるのは、おおいに問題であると言わざるを得ない。
 今後の中教審の審議においては、「特定の宗教のための宗派教育」といった表現を用いるなど、教育基本法の改正を含めて十分な審議を尽くしていただきたい。

(2)P.29に述べられているごとく、「様々な宗教を教えることができる教員は少ない」との意見はもっともでもあり、宗教教育を教科書重視の学校教育で実践することが容易でないことは事実であろう。しかしながら現状に流されて宗教教育が等閑にされては、わが国の人心はますます荒廃するばかりである。
 「宗教は、人類の文化遺産の重要な部分を占め、また、個としてどう生きるか、与えられた命をどう生きるかという実存的なものにかかわる重要なもの」(中間報告P.28)とあるごとく、人間にとって重要な宗教に関する教育は、学校においても重視されなければならない。そのためには、法律の改編といった制度面での再考にも増して、宗教教育を充分実りあるものとするための教材、ソフト、教育方法の確立といった具体的な面を充実させることが先ずは図られるべきである。国家が広く各界の意見を徴しつつ、教員資格取得課程及び教員養成課程で国内外の宗教について幅広く学ぶことができるカリキュラムの導入など、教員の養成や充実した教材開発ができるようなシステムを早急に整備する必要がある。宗教界としても、このシステム整備に関してできる限りの協力を惜しまない決意である。

以上