第7回宗教と生命倫理シンポジウム「生殖補助医療の法制化を考える―現状と課題」要旨

平成26年11月13日、セレニティーホール(東京都杉並区)において、第7回宗教と生命倫理シンポジウム「生殖補助医療の法制化を考える―現状と課題」を開催した。

近年、医療技術が急速に進む中、体外受精や代理出産といった生殖補助医療が、法的な位置づけもないままに国内の一部の医療機関で行われている。数多くの夫婦が不妊症で悩む一方、生まれてくる子の「出自を知る権利」や、複雑化する親子関係などの問題をめぐり議論が高まる中、有志の国会議員によって法制化が進められている。

生殖補助医療の現場では、どのような現状と課題があるのか、現場の最前線でご活躍の吉村泰典慶應義塾大学名誉教授から、生殖医療の基礎的内容について講演をいただいた。引き続き、宗教者、宗教社会学者からそれぞれ問題提起を行ったのち、斎藤謙次事務局長司会のもと、講師4名が諸問題について議論を行った。新しく誕生するいのちへの責任として、宗教界のみならず、国民的議論が必要であることを発信した。当日は、宗教関係者や一般からおよそ140名が参加した。

 

基調講演

 

「生殖医療の法的・倫理的諸問題」
吉村泰典 慶應義塾大学名誉教授・内閣官房参与

■はじめに

201401 1978年7月に、イギリスでロバート・G・エドワーズ博士が初の体外受精を成功させ、大きな医療技術の進展を遂げたことにより、生殖医学・生命科学の技術は不妊に悩む夫婦にとって、子どもを授ける手段だけにとどまらなくなった。卵子が体外に出ることによって、卵子の提供や代理懐胎、さらには着床前診断が現実のものとなったが、しかしこれらの操作が人間の尊厳、社会の秩序に多大な影響を及ぼすことになったことを、先ずは銘記しておかなければならない。

■生殖医療の現状について

これまでに、生殖補助医療(不妊治療)技術によって世界でおよそ500万人が、日本では34万人が誕生している。医の倫理に対する考え方には、インフォームドコンセントを徹底して「他者に危害を加えないなら最大限認められる」という米国的な考え方と、自己決定権だけでは規制できないことがあるため「ガイドラインを作成する」というヨーロッパ的な考え方がある。しかし、日本は国による法もガイドラインもほとんどなく、事実上は1980年代に日本産科婦人科学会で定めたガイドラインに則り、ごく一部の例外を除いて、自主規制がなされているのが現状である。

我が国における生殖補助医療は、2012年のデータによると32万64周期が行われている。総出生児数に占めるART(Assisted Reproductive Technologies)出生児は3.66%で、およそ27人に一人の確率である。

第三者を介する生殖補助医療の争点について、否定的な立場からは、家族関係の複雑化、優生思想の排除、神への冒涜、生命の商品化、女性の搾取、そもそも危険だという指摘、そして、現時点では生まれてきた子に出自などの真実を知る権利がなく、子の福祉の観点から人間の尊厳が保たれないということである。対して肯定的な立場からは、幸福追求権、家族形成権などの自己決定権が認められて良いのではないかということである。

■リスクと社会的・倫理的問題

201402 90年代から体外受精が行われるようになり、双胎やスーパー多胎といわれる出産が増えている。多胎児は未熟児であることが多く、母体にも影響があるため、日本ではガイドラインによって移植胚数に制限を設け多胎妊娠を防ぐようにしている。

卵子提供については、2007七年、日本生殖補助医療標準化機関(JISART)が姉妹・友人からの提供を承認、実施しているが、無償であるうえ、卵巣が腫れるなど体への負担が大きいため、国内の提供者はほとんどいないのが現状である。そのため、女性は300万から400万円かけ渡米していたが、近年では比較的に安く提供してもらえる韓国やタイに渡っている。しかし、卵子提供による妊娠は、高齢妊娠が多く、母体へのリスクや妊娠合併症の頻度も高い。

日本においてガイドラインで禁止している代理懐胎には、妻に卵子も子宮もない場合で、夫の精子を別の女性に人工授精するTraditional Surrogacyと、妻に子宮はないが卵子がある場合で、夫婦の体外受精卵を別の女性が妊娠するIVF Surrogacyがある。IVFは、遺伝的な繋がりがある。

これら第三者が関与する配偶子(精子や卵子)提供や、代理懐胎などをめぐっては、子どもの引き渡しや引き取り拒否、代理懐胎者の死亡、子どもの障害による中絶、減数手術、受精卵の取り違え、違法な仲介者の問題など、国内外で社会的・倫理的な様々な問題が起きている。また、オーストラリア人夫婦がタイで代理出産を依頼したが、双子のうちダウン症児を引き取らなかった事例も起きている。
長野県で卵子提供による体外受精が行われたことを契機に、平成10年10月から国でも検討を行い、平成12年12月には厚生科学審議会の専門委員会で「精子・卵子・胚の提供による生殖補助医療のあり方についての報告書」がまとめられた。その後、法務省では法制審議会を開催し、厚生労働省ではガイドライン作成のために平成15年4月に骨子をまとめた。これをもとに、平成16年には法案の国会提出を目指したが、世界情勢の悪化で立ち消えとなった。現在は有志議員によって法制化が進められている状況である。

これまで、親子関係の法的規制としては、民法の第772条【嫡出の推定】ほか、第774条、第776条、第777条によって、とくに父子関係を問題にしてきた。しかし卵子提供や代理懐胎が行われると、遺伝学上の母と、妊娠・分娩の母、子を欲し契約する母の三つの母が存在することになり、人間関係が複雑になる。司法の場でも明確な法律がないために、親子関係の判断は裁判官によって違うなど、問題がでている。

日本学術会議生殖補助医療の在り方検討委員会では営利目的による代理懐胎の規制と、親子関係の問題をまとめている。一例で、代理懐胎は法律によって原則禁止とされるべきだが、子宮がないなどの事情もあるため、公的機関の管理下での試行は考慮されてよいのではないか。代理懐胎で生まれた子の母は分娩者とするが、子と依頼夫婦の間には、特別養子縁組などで親子関係の定立を認められるべきである、など。

■出自を知る権利について

海外における出自を知る権利については、スウェーデン、スイス、オーストリア、英国で、それぞれ年齢に達すると情報の開示請求が可能である。フランスでは完全匿名であるが、子どもの治療に必要な時に限り医師に情報を開示する体制がある。近年、AID(非配偶者間人工授精Artificial Insemination with Donor’s Semen)で生まれた子どもたちが、自分の父親が誰なのか調べるようになってきた。

自分が父であると思ってきた人がそうではない事実を知ったとき、子はアイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失)を起こす。そのため、「出自を知る権利」は信頼に基づく安定的な親子関係の確立と、人間的尊厳を守るためには必要ではないか。しかし、ドナーには匿名性があるため、子どもに対して個人情報をどこまで開示するか難しく、親による子どもへの真実告知が大事になってくる。

■新しく生まれてくる「いのち」への責任

第三者を介する生殖医療の是非論もあるが、最も肝心なのは、生まれた子の福祉を考えることである。何より先ずは、生まれた子の法的地位―子の父は誰か、子の母は誰か―は決めておくべきであろう。また、出自を知る権利は認める方向性ですすめ、それによって子は慈しみ育てられる権利を保障されることが大切である。

医療においては不易の倫理というものはなく、倫理観は時代とともに、技術開発とともに変化する。しかし、生殖医療にはクライエントだけの問題で完結しない社会的、倫理的問題があるなかで、子どもは本人のことでありながら医療行為実施の現場の決定に立ち会うことが出来ないのだ。生殖医療において忘れてはならないことは、子を希求するクライエント夫婦とは全く人格の異なる一人の人間の誕生があることである。権利を主張できない新しいいのちに、医療者はどう責任をとれるのか。また、社会が子どもの利益の代弁をおこなっていく必要があるのではないか。

 

パネリスト発題

 

「生殖補助医療の法制化と宗教界の対応―現状と課題―」
戸松義晴・浄土宗総合研究所主任研究員

 

浄土宗総合研究所の生と死の問題研究班「生命倫理問題への宗教教団の対応に関するアンケート調査」(2012年10月実施)によると、宗教界では死や終末期医療への関心は高いが、生殖補助医療については調査や対応が進んでいないのが現状のようだ。しかし、昨年より簡易血液検査による新型出生前診断が実施され、胎児に障がいがある可能性が陽性であったうちの97%が人工妊娠中絶に至っている(『朝日新聞』平成26年6月28日)という事実から、多くの教団が生殖補助医療と人工妊娠中絶は切り離せないいのちの問題として認識している。日本では障がいを理由とした中絶が事実上容認されている状態だ。カトリックは、伝統的に倫理道徳的問題として中絶を認めない立場を明確にしてきたが、日本のほとんどの教団、特に仏教会が当事者の経済的事情や様々な状況を勘案して倫理問題にせず、中絶後の悲しみに寄り添う水子供養が行われてきたという経緯がある。

生殖補助医療の法制化においては、第三者が関わることや、卵子や精子の凍結で時間的経緯に人が介入することについて議論が必要である。また、子の出自を知る権利と法的地位を守ることは、新しく生まれてくるいのちに対する私どもの責務である。なかでも、代理懐胎は世界的商業化や経済的格差による搾取の構造に基づいているといえる。反社会的でなければ自己決定権が認められる自由主義社会において、求めるものとそれに応えるものがあり、金銭が動くのであれば、それはビジネスにほかならない。もっと快適に便利にという限りない欲望を満たすために人間はどこまでやるのか。人々の悩みに寄り添い、古から自然との調和を説いてきた宗教者一人一人の取り組み方、あるいは人間としての生き方が、今、問われているのである。

 

「立正佼成会の布教現場から考える生殖医療についての私見」
川本貢市・中央学術研究所所長

 

生殖補助医療の問題に関して、立正佼成会は正式な見解を出していないため、付置研究機関の見解を述べる。立正佼成会「生命倫理問題に関する調査報告」(1994年報告)によると、不妊症相談の経験がある教会長は8割以上で、20年前でも現場の大きな関心ごとであったようだ。

立正佼成会では『法華三部経』を所依の教典としている。いのちのつながりや霊という観点から、基本的には先祖供養や、本尊や先祖の祭祀継承者となる子孫の存続は重要とされてきた。そのようなことから、婚姻関係にある夫婦の不妊治療は認めている。しかし、第三者の精子・卵子の提供については、子は独立した存在として尊重されるべきであるから慎重な態度をとる。夫婦は覚悟によって生殖医療を選択するが、様々な問題が起こりうるので、カウンセリングや支援体制を整える必要があるだろう。代理母については、母体の危険性、妊娠・出産のトラブルを考慮すると全面的に受け入れるのは難しい。また、お金によって子どもが持てるという安易な風潮や、経済格差によって子どもを持てないなど、いのちの問題が商業主義になるのはどうなのか。

従来本会の考え方からすると、子どもができないからといって人間の価値が決まることはない。その現実を受け入れながらいかに人生を有意義に過ごすのかが大切である。一方で、子どもを持ちたいという気持ちには否定することなく信仰指導を続けてきた。

生殖補助医療は、いのちの尊厳が常に中心のテーマにある。生殖医療の正しい知識を得ること。また「イエ」のありかたなどに対する偏見を除去し、人格と人権を尊重することが大切である。宗教はこころの救済を目的としている。厳しい現実を悩んでいる人々と共に歩み、寄り添うという姿勢が必要である。

 

「人間と人間の体を道具として使うことへの歯止め」
島薗進・上智大学特任教授

201403 現在政府は生殖医療推進のため法制化を目指しているが、生殖医療には様々な側面がある。最近のニュースに、タイで24歳の日本人男性が15人も代理出産をさせたという事実があった。これは生命尊重の根本問題として、あってはならないことである。たまたまタイの法制が緩かったから起きたという面があるにしても、それだけではない問題を抱えている。

代理懐胎や卵子提供をめぐっては、代理懐胎者や提供者の死亡例や、人間の体を道具として使うこと、金銭によって提供すること、大きな危険を伴うのに命を懸けてまで行うことなど倫理的問題が山積みであり、第三者のいのちを脅かしてまで商業的な生殖医療を認める社会の在り方は、問われるべきである。国内では許容していないが、生殖医療のグローバリゼーションにより海外に頼っている現実がある。経済理論だけで動いている国際社会においては倫理性が働かないのだ。やがては経済的に貧しい女性が、資金を得るために、卵子を提供する社会になってしまうのではないか。

日本では、諏訪マタニティークリニックで、まずは姉妹による、ついで母親による代理出産が行われている。背後には第三者によるものは許されないとの考えがある。これらの事案も含めて、国は生殖医療における倫理問題を国家レベルでがっちりと討議していくべきだ。また、医学者、法律家はもちろん、宗教界や倫理・哲学の観点も加えた国民的討議を行い、多様性にも配慮しつつ公論をまとめていくべきである。先端的な医学を受けいれて、生命倫理の問題に長く向き合ってきた経験を持つ日本は、欲望充足や経済を優先し倫理を置き去りにしてしまう国際社会のあり方を変えていくよう提案する力があるはずだし、その責任がある。

 

公益財団法人日本宗教連盟
「第7回宗教と生命倫理シンポジウム『生殖補助医療の法制化を考える―現状と課題』」
要旨
平成26年11月13日・会場 セレニティーホール
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